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「春▪夏▪秋▪冬」の章立てで38篇のエッセイと最終章が収められている。
故郷▪山口の高校の野球部顧問で、倫理社会担当の恩師M野先生の思い出の文(「人が人を信じるということ」)に先生に習った「コスモポリタン(世界市民)」という視野を拡げる衝撃的な言葉のことが書かれている。そして「恩師」と言う言葉が躊躇なくでるような出会いの深さを思った。

いくつかの文章には、異論があり、引っかかりもし、感心しもした。伊集院さんの美学が刺激的だ。

この本で、一番印象深かったのは最終章『愛する人との別れ~妻▪夏目雅子と暮らした日々』。
夏目雅子の明るさや思いやりの深さと、つらい結末。僕がここのブログに書いた「なぎさホテル」が、なくなる話が出た頃、彼女と暮らしはじめて新居で過ごした期間の短さ。彼女が亡くなって帰った故郷で「途方に暮れる」彼の痛みの深さ…。
その彼が両親の、恩師や友人の、後輩らの「慈愛」に抱かれ助けられた話。
『この状況を切り抜けられたというか、何とか生き延びてきたら、少しずつ自分がかわった気がします。人間は己でどうしようもできないことが一生で起こり得るし、そうなった人を見守ることは使命というか人間は当たり前に手を差しのべるのだと思うようになりました。』(187~188)

最後に映画の中のチェチェンの老婆のせりふが紹介されている。
『あなたはまだ若いから知らないでしょうが、哀しみにも終わりがあるのよ』(189)

有名無名を問わずケースも様々だけど、人は「途方にくれる哀しみ」と遭遇する運命の旅人なんだと思う。
周りが見えないほどつらい時が、いつか訪れるだろう。そんな時、この言葉を思い出したいと思う。

(「大人の流儀」 伊集院静著 講談社2011.3)



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10年あまりの東京生活に疲れた若き日の伊集院静が、たまたま訪れた「逗子なぎさホテル」のI支配人から声をかけられ、7年あまりをこのホテルで過ごすことになる。金も仕事もなかった彼を家族のように温かく受け入れたホテルとその人たち。作家▪伊集院静が誕生するきっかけとなったホテルでの日々を綴った自伝的エッセイ。

稀だけど、思いっきり豊かで深い生きる場所や人との出逢いが、彼をつくったんだなと思った。
この暮らしがなかったら、彼の面白い小説が読めなかったかもしれないと思うと、ここでの彼の日々は貴重だったんだと読者目線で思う。同時に彼自身が、今につながる能動的な生き方を積み重ねていたことも窺われる。近藤真彦の大ヒット曲の作詞や女優M子さんとの愛も育んでいる。【I支配人】の感性や人をホッとさせ温かく包む人間性が、伊集院さんに人の面白さを育む時を作ったんだなと思った。支配人の言葉 「急ぐと厄介になりますよ。ぼちぼちなさったほうがいいですよ」(P186) は印象的な言葉。

伊集さんの、文章に託す思いも綴られていて興味深い。

「ただ私は一冊の、一行の言葉が、人間に何かを与え、時によっては、その人を救済することがあると信じている。」(P136)
冬の海の眺望を描いた文章は、景色がいきいきと浮かんでくる。
女優M子との結婚のためホテル暮らしを終える。ときを同じくするようにホテルの営業も終える。

この本や、彼の自伝的小説を読むと、人生の面白さ、哀しさが血の通った言葉で綴られる。そこには、今、生きていることや誰かとの出逢いへの愛しさが感じられる。僕も、ちょっと視点を変えたりじたばたしたり、休憩したりして歩いてみようと思った。まだ見ないけど、知らない世界があるのかもしれないから。

「なぎさホテル」伊集院静著 小学館2011.7)


「大人の流儀」の3冊目のエッセイ集「別れる力」を読んだ。

冒頭文の中で、遠くへ飛ぶ草木の種の生命力の話のあと「別れには、力と生きる尊厳があるのだと確信した」と述べ「別れることは決して誰か何かを不幸にさせるだけのものではない。」ことを伝えたいと、作者の思いを書いている。

最近、このブログで取り上げた伊集院さんの作品には、別れの哀しみと、生きていく静かな決意のようなものを感じた。この本の「第一章▪別れて始まる人生がある」には、印象的な文章が収められている。

『別れるということには、人間を独り立ちさせ、生きることのすぐ隣に平然と哀切、慟哭が居座っていることを知らしめる力が存在しているのかもしれない。人は大小さまざまな別れによって力を備え、平気な顔で、明日もここに来るから、と笑って生きるものでもある。人間の真の姿はそういう時にあらわれる。』 (P17)

「別れが前提で過ごすのが、私たちの"生"なのかもしれない。出逢えば別れは必ずやって来る。それでも出逢ったことが生きてきた証しであるならば、別れることも生きた証しなのだろう。」 (P47)

別れは、哀しいことだけど同時に生きている証でもあり、力を備えるものでもあるという言葉は、真理と励ましに満ちていると思う。

読み進んでいくと、挑発的とも極論ともいえる言葉も出てくる。共感もすれば、異論もある。
曰く、
「テレビのアナウンサーというのは半分以上がバカだから、根拠があろうがなかろうが、数字を本当のように語る」 (P104)
「回転寿司は鮓屋ではありません」 (P117)などの持論を展開している。

「大人の流儀」シリーズってどういう意味だろう?3冊目しか読んでいないので想像するに、まるで「子供の流儀」のように未成熟だと著者が感じる出来事に怒っているのかもしれない。刺激的で興味深い本だ。シリーズの他の本も読んでみたい。

( 「別れる力~大人の流儀3~」 伊集院静著 講談社 2012.12)


標題は、親しみをこめて呼ばれた正岡子規の愛称
教科書で習った俳句「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」短歌「甁にさす藤の花ぶさみじかければ、たたみの上にとどかざりけり」が作中に出てきて、彼の作品だっんだと改めて思い出すようなボクにとって、彼は知識のない、近寄りがたい遥かな歴史上の人だった。
でも小説を読んだら「正岡子規」(本名常規)というより、「ノボさん」と呼ぶのがぴったりだと思った。

章ごとの題名が面白い。
「ノボさんどちらへ?べーすーぼーる、をするぞなもし」
「初恋の人。子規よどこへでも飛べ」
「漱石との出逢い。君は秀才かや」
「血を吐いた。あしは子規(ほととぎす)じゃ」
「漱石との旅。八重、律との旅
」「鴎外との出逢い。漱石との愉快な同居」
「子規庵、素晴らしき小宇宙」
「友は集まる。漱石、ロンドンへ」
「子規よ、白球を追った草原へ帰りたまえ」
の9章からなる。

日本に入ってきたばかりのべーすーぼーるに熱中し、誰からもノボさんと慕われ愛された彼が、とても親しみ深い人物に感じられた。互いに認め合う友人、夏目金之助との出逢いが興味深い。子規の俳句の弟子を自認してつけた彼の俳号が「夏目漱石」で、中国の故事からきているということも、初めて知った。
俳句の大系を作ろうとする子規の姿勢に、俳句は「隠居の遊び」だと決めつけている人が多いが、子規は「日本人が手に入れた崇高な創作物だと」信じていると、漱石が感じ取る場面があって、子規の俳句にかける気概と彼を見つめる漱石の思いが感じられて印象的だった。
歌論をしようと訪れた伊藤左千夫が、子規の印象を「話はじめるとその人は流麗で社交性に富み、少しも飾るところがない」348と一目惚れをする。子規の人柄が伝わってくる。


36歳という年齢で亡くなった子規。何より病による体の痛みと闘い続けながら、本当のものを探し続けた姿は、自らの雅号▪子規(ホトトギスの意味)と命名した決意のように『血を吐くがごとく何かをあらわそうと』鳴き続けた人生だった。
時を越えて、生命というものを感じさせてくれた一冊。


( 「ノボさん~小説正岡子規と夏目漱石~」 伊集院静著 講談社 2013.11)




先回ここで取り上げた「愚者よ、おまえがいなくなって淋しくてたまらない」と同じく陰影の深い自伝的小説。
作者と思われるサブローと、「狂人日記」などを書いた、作家色川武大との「旅打ち」と呼ばれる競輪場への旅等をまじえた交遊録。
標題は、突然どこでも眠りだす、色川さんの持病ナルコプラシーの症状からきている。弟、親友、若き女優だった妻と相次いで死別したサブローは、そのショックから酒と博打に溺れ、精神病院を退院したものの、今も幻覚に怯える哀しみを心に抱えて生きている。
サブローのことを気にかける雑誌編集者の紹介で「いねむり先生」に出会い交遊がはじまる…。

厄介な難病を抱えているのに、ジタバタせず、仕事の世界でも、遊びの世界でも、尊敬と周囲の人に安らぎを感じさせる「いねむり先生」こと色川さん。
その飄々とした気取りのない大きな人柄。人の哀しみを見抜き、包み込む人柄が、他人との接触を避けていたサブローの精神的な痛みを徐々に癒していく。そして、「いねむり先生」自身も精神に痛みを抱えており、だからこそ、人の気持ちに深く寄り添って生きていることも描かれている。二人と交友がある歌手も登場する。 「陽さん」と呼ばれるこの歌手は、あの人だろうと興味深く読んだ。

別れという哀しみは、誰の運命にも避け難くやってくるけど、著者は「青春と読書」のインタビュー記事の中で
「その人との忘れえぬ記憶こそが、生き残ったものの生きる証なんだ、そうやってつながっているんだ…」
その想いを読者が共有してくれたらと「愚者よ…」を書いたと言っている。
その前に発表されたこの作品にも、作者のそんな想いが詰まっている感じだ。

人生で大切な人と出会って、魂が触れ合うようなひとときを共にできたら、と、つくづくと思わせてくれた印象深い作品。

「いねむり先生」伊集院静著 集英社文庫2013.8)


生きてきて彼が出会った何人かの男たち、その生き様。そして別れ…。

作者の思いが出ている一節。

『まっとうに生きようとすればするほど、社会の枠から外される人々がいる。なぜかわからないが、私は幼い頃からそういう人たちにおそれを抱きながらも目を離すことができなかった。その人たちに執着する自分に気付いた時、私は彼らが好きなのだとわかった。いや好きという表現では足らない。いとおしい、とずっとこころの底で思っているのだ。

社会から疎外された時に彼等が一瞬見せる、社会が世間が何なのだと全世界を一人で受けて立つような強靭さと、その後にやってくる沈黙に似た哀切に、私はまっとうな人間の姿を見てしまう。』
(P378)

エイジ、三村、木暮などの人間像。特にエイジの放つ人間としての光の強さに、人の魅力とか、本気の生き方とかを思った。

そして、人の命の時間の、愛しさ、苦さ、哀しさが、作品全体に漂っていた。
読むそばから、深く深く心に沁み通ってくる、言葉の色気のようなもの。

出逢えて、読めて、嬉しかった感謝の思いに尽きる一冊。


(「愚者よ、お前がいなくなって淋しくてたまらない」伊集院静著 集英社2014.4)



本命くじら

Author:本命くじら
 本が好きです。自然も好きです。
人間という生き物にキョウミシンシン!
本は快楽。本はエネルギー。…ってことで。
 よろしく!

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