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◆ 「100万回生きたねこ」を読んだ縁で、彼女のエッセイを読みだした。
思ったのは、言葉はこんなに面白いのかってこと。
観察眼の、目の付け所の楽しさ、ユニークさ。
まさに、この人がであって、見たものだ。

◆ 思い出す人の口癖とか(「逆に言えばナ」「人をあやめちゃいけないよ」
「私はそう思うの」など。人物の声が、ボクの頭の中でリフレーンする。)
そこに、連なる思い出が綴られている。

たくましい。むきだしの生の痛快さ。
心を楽にしてくれたり(「産んだだけなのよね」)、
特別な付き合いはないのに、そこにその人がいるだけで、心が救われるような気持ちになる。
そんな友だちが入院してしまったときに、元気になってほしいと痛切に願ったりする(「大丈夫だったら」)。

◆ 読み出したらとまらない。
…で、あるから…。
…と、いうわけで…。

目下のエッセイ読書は、佐野洋子ドノです。

(佐野洋子 著 「ラブ・イズ・ザ・ベスト」 新潮文庫)
 


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 犬じゃなく、猫の話が重松さんらしい。
二泊三日でいろいろな人の所に行く、レンタル猫の話。

◆ いろいろな種類の猫が出てくる。
三毛・メインクーン・マンクス・ブラウンクラシック・雑種・ブラウンクラシク・タビー
ロシアン・ブルーなど、文章から猫たちの仕草や表情が浮かんでくる。

それぞれの猫たちが出逢う人間模様。現在の生が語られる。
・不妊の夫婦の話。(花粉症のブランケット・キャット)
・三回の離婚、末期癌、心ならずも大切な小さな会社の資金を横領してしまった女。
(助手席に座るブランケット・キャッツト)
・自分を守るために、いじめた同級生の自殺未遂。自己嫌悪に悩む少年と家族。
尻尾のないブランケット・キャット)
・老人ホームに行く祖母のため、彼女が好きだった亡くなった猫の代役としてレンタル猫された家庭。
(身代わりのブランケット・キャット)
・ペット禁止のマンションの、大家が借りてくる憎々しげな猫の本当の姿とは。
(嫌われ者のブランケット・キャット)
・猫の視点から語られる異色の一編。
借り出された女の車から逃れ、家出した兄姉と旅をすることになった猫のタビ―が
「俺は何のために生まれてきたんだろう」と自分の命のルーツを考える話。
(旅に出たブランケット・キャット)
・リストラされ、一戸建ての家の売却を迫られる家庭の人間模様。
(我が家の夢のブランケット・キャット)


◆ 彼の作品を、読み終えると「幸せ」のことを思う。
「生きる意味」を思う。
最初いやな奴に見えた、大家が抱いている孤独と、物語後半で、
タッくんにかけた言葉が光っている「嫌われ者のブランケット・キャット」。
猫の視点から語られる「旅に出たブランケット・キャット」が特に印象的だ。

◆ 印象的な言葉の一部。

「だが、笑顔を浮かべられなかったことも思い出なんだ…」(320)

「猫は大切なものを失ったら、困ることしかできないけど、人間は違うの。
大切なものがなくなっても、それを思い出にして、また新しい大切なものを見つけることができるし、
勝手に見つけちゃうものなのよ、人間は」(326)


(重松清 著「ブランケット・キャッツ」 朝日新聞社 2008.2)


好きだ。うまい。
心のときめき。痛み。焦燥。歓び。
大事な一瞬を、すくいとっている。
ひまわり、コスモス、椿、桜の四季の花々に、
からんだ人々を描いた四つの短編。

サマバケ96
中学三年の夏、対照的な性格の二人・ユカとアンナが計画した、最高の夏休み…。
さて、どんなことに…。

大量のヘビ花火を二人でやって、枯れたヒマワリのかさかさという音をきく。
過ぎ去っていく夏に抗うユカの焦燥が眩しい。
過ぎていく時を,、止めたいなぁという思いが伝わってくる。


コスモスと逃亡者
知恵遅れの、たからは、家の窓から見える荒地とコスモスを眺めながら、
働く母に守られて、指示された買い物をコンビニでして、過ぎる日々。
「わたしってなんだろう」。
このまま、これからも生きていくんだろうかと思っている。
ある日、近くのアパートでカラスに呼びかけている男にあう…。

庇護を受け、部屋の中に籠って生きるだけじゃない生き方を宣言する最後が好きだ。
「ちゃんと土を踏んで、風に当たって、あのコスモスを見るのだ。」(110)と。
雑草のように省みられない私。
でも、守られるだけじゃなく、もっと色んなものを見られるんだと母に告げる
たからの歩き出そうとする思いを、応援したくなる。


椿の葉に雪の積もる音がする
中学二年になった、雁子は思い出す。
小さい頃から、年に一回ほどの眠れない夜は、おじいちゃんの布団にもぐりこむ。
すると、雁子を眠りにいざなう、おじいちゃんの呪文の言葉。
それが「椿の葉に…」。
おじいちゃんは、庭に咲く「藪椿」を縁側で眺めるのが好きだ。
ある夜、おじいちゃんが倒れて入院する…。

それまで見慣れた姿と違う病室の無言のおじいちゃん。
声がかけられなかった雁子と弟の雪助。
椿は、雁子や弟が知らない、おばあちゃんのアイさんが好きだった花だと、後で知る。
最後の場面、おじいちゃんを失った空白感
痛切な雁子の姿が、心に痛い。


ボクと桜と五つの春
勉強が苦手な上、口下手な吉谷純一には、友だちもいない。
小学校五年生の時、塾の帰りの夜。
道路沿いの高い板塀の向こうに若い「桜木」を発見する。
それから五度目の花が咲いた年、一新されたクラスの中に、
桜の気配を感じるカナハギさんに一目ぼれして告白するが…。

誰も見ていない場所で花を咲かせ、年と共に成長して、塀の上に顔をだす桜。
仲間といても流されず、強い意志で自分の道を目指すカナハギ。
そして、就職と共に家をでる吉谷。
桜やカナハギの姿が、彼に自立への思いを持たせたんだろうなと思った。
最後の場面で、カナハギが吉谷に告げた本音。
自分を見つけてくれる、ほめてくれる人。
大事だなぁとも思った。


 「劣等感を持った主人公&別れ」が、印象的に描かれている四篇。

(豊島ミホ著 「花が咲く頃いた君と」 双葉社 2008.3)







著者の本じゃないけど「もっとわたしを」と思っても
「なんにもうまくいかないわ」と思ってしまう日が、ごろごろある。
「どうしてくれるんだぁ~」って思うのは、ボクだけじゃないみたいだ。

◆ この本は、平安寿子さんが26歳(1979年)の時、コピ-ライターや
OL生活に行き詰まり、貯金を使って、ホームスティをしながら、パリの
語学学校(三ヶ月コース)で過ごしたおもしろ哀しい留学物語だ。

笑えるところもある。
でも、惨めで長い間、語れない想い出だったようだ。
「手ぶらで帰ってきてしまった。何も見つけられなかった」と
自分のバイタリティのなさに涙が止まらなかったと語っている。
あの平さんが だ…。

◆ 印象的な言葉。
「生きるとは、想い出すこと。人は、想い出すために生きる。
なんにもならなかった、なにもできなかったと涙にくれたパリでの日々が、
今のわたしの足元を支える土台になっている。
想い出とは、そういうものだ。想い出こそ、わたしなのだ。
五十を過ぎて、それがわかった。」(162)
苦かったパリでの想い出が四半世紀を越えて、ようやく言えた現在形の言葉。
「セ・シ・ボン。そりゃもう、素敵。」(165)

 この本を読んで思うのは、空しく涙する「空ぶりな日々」にも
ほんとは味があるんじゃないかということ。
それを、みつける気持ちで、生きるってのは
『そりゃもう、ステキ』
 と 思いたい。


(平 安寿子著「セ・シ・ボン」 筑摩書房 2008,1)



  読みたかったオモシロ小説が目の前にある のに、
つい読んだしまったこの本…。

◆ 病気知らずで、アウトドアと本好き人間だったボクが脳梗塞で入院した。
食事もとれず、TVも本も読めなかった。
日にちが過ぎて、リハビリが始まった。
これは、何かの間違いではないかと思い、根性でリハビリをすれば、完治するだろうとも思った。
あれからの数年、失敗の中を歩き、今もリハビリの中にいる。

◆ この本は、「認知運動療法」という、新しいリハビリの考え方を紹介している。
ボクがこれまで受け、やってきたリハビリとは、かなり異なる考え方だ。
患者には、リハビリの意義や、続けることへの確信になる言葉が、詰まっている。
リハビリの現場で働くセラピストには、その仕事は「ロマンチック・サイエンス」に
変わる可能性があると言っている。

豊かな人間の体に新鮮な目を注ぐこと、感性を磨くこと。
患者もセラピストも、病気の根本である「脳」の科学とともに
手足などの損傷部位を、とらえなおしてリハビリをしようと言っている。

◆ 患者がセラピストと一緒に、体のことを学びながら、リハビリに主体的に関わる
のが、この療法の特徴だ。 後半、こんな言葉がある。
「患者自身が自己の身体と向き合って日々を生きることの価値を理解できれば、
退院後も運動麻痺の回復はゆっくりと進む。
…学ぶことをやめない人間には、いつも可能性の扉が開いている」
(P234)

この本はリハビリの話をしながら、学ぶことのステキさも語っている。
今流行の、勝ち組になる方法でも、霊の世界の神秘でもない。
生身の命が歓ぶような、学びのことだ。

(宮本省三著「脳の中の身体~認知運動療法の挑戦~講談社現代新書」2008,2)


◆ 少し前、「サライ」が落語の特集をしていた。
付録に柳家小さんの古典落語のCDがついていた。
「付録」という言葉に弱い男なので、ただちに買った。
ただちに家に帰り、ただちに聴いた。

収録の「時蕎麦」「粗忽長屋」「狸賽」は、どれも小さんの得意ネタだ。
これで感動して泣くとか、明日の人生を考えるとかは、ないっ!
でも、ぽわ~んと生きているオモシロさを感じた。


登場人物の「了見」(思案・所存)を大事にと教えられたと
弟子の小三治が記事で言っていた。
まったく飾りも派手さもない。
でも、いつの間にかオモシロイ。


好きな剣道は、北辰一刀流7段だった。
ツボを外さない話術。
聴く人の気分に打ち込んでくる 「間」。
…一本 とられた。



核弾頭が「間違いで」発射されて、刻々と首都に飛んでくる。
居合わせた人たちの、命のカウントダウンが始まる。
その不合理。
読み出したら止まらない。
松本清張の、唯一のSF的小説。


◆ ある朝、防衛省統幕議長から官邸の総理大臣にかかって来る
一本の緊急電話。
東京に向かって、5基の核弾頭ミサイルが、Z国から誤射され43分後に爆発し、
一発で東京から半径12キロ以内が全滅する。
迎撃は不可能。
慌てふためいて政府要人たちは、ヘリコプターで首都を脱出、大阪に臨時政府をおく。
ラジオ・テレビの臨時ニュースで真相が報道される…。

◆ 「砂の器」「点と線」「波の塔」などの、名作群を残した清張の作品の中で
一際印象の強い作品。
最近、書店で復刻文庫を見つけて再読。
笑いと怖さと悲劇が詰まった一冊。

 毒のある笑いが随所に。
例えば、虚無主義者の描写。
「常から世の中のあらゆることを否定し、意義を認めなかった虚無主義者も、今度だけは生きる意義を痛烈に認めた。彼らは可能なかぎり被爆地からのがれようとして逃走した。」
(P116)

 覚悟を決めて、アパートで愛し合いながら、最後を迎えようとする
戸上佐知子と木村規久夫の姿が悲しい。

 世界に存在する、現実の核兵器が、空想の小説世界に終わらない怖さを感じさせる。
小説を読むと、先端技術を注入して製造している兵器の正体が
実は「未開と野蛮の象徴としての核兵器」だということが、浮かび上がってくる。

(松本清張著 「神と野獣の日」 角川文庫 2008,5改版)


 出来れば避けたいイメージの
「悩む」という言葉。
それを、悩む「力」として、積極的に捉えている。
夏目漱石やマックスウェーバーの視点を借りつつ、
彼らの、理論や作品論を散りばめて、持論を語っている。

◆ 全体を読んで思ったこと。
ここで言う「悩む力」は、深刻に落ち込んで終わってしまう悩みじゃなくて、
イキイキとした「生」を産み出すための「力」なんだと。
夢の本気さや深度にふさわしい「悩む力」の事を書いているんだと
思った。


◆ 面白かったのは、『第三章「知ってるつもり」じゃないか』。
その中で、ネットなどで、多くの情報を手に入れることが「知性」だと勘違いして、
「情熱的な探求」「虚心な好奇心」ではなく「先行きを予想してやめてしまっている」。
それは、情報の血肉化ではなく、「知ってるつもり」だけの、知性じゃないかと言っている。
そうだよね。
「情報」を使うのは、うつうつだったり、よろよろだったりしつつ(オレだけか?)、
何とか、人生を面白くしたいなぁ~と思ったりしている、生身の人間だもんなぁ。

 面白がりながら、「悩む力」を元気にして、歩いていきたいもんだと思った。

(姜尚中(カン サンジュン)著 「悩む力」 集英社新書 2008,5)


本命くじら

Author:本命くじら
 本が好きです。自然も好きです。
人間という生き物にキョウミシンシン!
本は快楽。本はエネルギー。…ってことで。
 よろしく!

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