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放映三夜目の映画「学校Ⅲ」は、職業訓練校が舞台。

 心のつながりって見えない。
  …でも、確かにある。


◆ そのクラスに集まってきた人は、ほとんど中高年。
水商売に見切りをつけた人、大型店の地域進出で小売店としての商売が続かなくなった人などだ。
その訓練校で、ボイラー技師の資格をとるため学びに来ている。

この二人も…。

◆ 高野周吉(小林稔侍)は、大手証券会社の部長だったが、50歳を過ぎた彼に突然のリストラ。
新しい転職先を探して、友人を頼るが相手にされない。
妻や子供と別居して一人暮らしの彼は、次第に今まで自分が持っていた、会社人間や学歴重視の価値観を、見直すようになる。
そして、次第に本気で、ボイラーの技能拾得に取り組むようになる。

◆ 小島紗和子(大竹しのぶ)。
中小企業で働いていたが、解雇された。
過去に過労死で夫を亡くし、今は、自閉症で絶えず独り言のような言葉を繰り返す
息子・トミー(黒田勇樹)と二人暮しだ。
再就職のために、ハローワークで紹介され、紅一点・ボイラーの技能拾得を目指して入校する。
そこで、高野と同じクラスになる。
観ていて、彼女の率直で逞しい、その姿に圧倒される。
でも、新聞配達の途中で交通事故にあった息子の看護に疲れの表情を覗かせる。
友人の助けで帰った彼女を、高野が心配して待っている。
その歓び。二人は恋に落ちる。

◆ 様々な過去の時間を引きずり、痛みや暮らしの辛さも味わって、年齢を重ねてから、技術習得のために学ぶ重みや真剣さが、とても印象的だった。
生きていくための職業訓練は、義務教育や親がかりで通う学校の雰囲気とはちがう。
渾身の真剣さがある。
さだまさし扮する教師が、事故で遅れてくる教師までの、つなぎ役として授業に現れる。
彼は雑談風に、猿が人間になって、道具を使うようになって動力ができた、皆さんはそんな現代の動力のことを勉強しているんですね。
動力を動かすためには「努力(動力)しないと」とシャレを交えて仕事の意味を語る場面が好きだ。
(セリフは記憶なので、細部は正確ではないよ。)

◆ ボイラーの仕事。派手ではないが、大切な仕事。
訓練校に来るようになった様々な経過のなかで、出世競争ではなく
一緒に、技能資格を目指す仲間という雰囲気がある。
見えにくいけど、なくてはならない大切なものを担っている。

  人の心も見えない。
でも確かな絆を結ぶ関係もある。
ラストシーンは、そんなことを語りかけてくる。


(1998年.松竹.山田洋次監督作品)


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放映された映画を観た、こじつけ的感想。

◆ 悩みが深いほど、一番欲しいもの。
それは、今の重苦しい現実を越える、知恵と力かも知れない。
現実の重さを変えるインスタントな処方箋はない、光は彼方にあるように見える。
でも、視野を広げて生きることが何かを変えるきっかけになるかも。


◆ 人が学ぶことの現実や意味を面白く描き出す「学校」シリーズ。
今回は、養護学校を舞台に、そこで学ぶ生徒と、教師の日々を描いたシリーズ二作目。

様々な知的障害をもちながら学ぶ生徒たち。
自分の能力が低いことがわかる故に悩む高志(吉岡秀隆)。
その自覚はないが、高志を慕う祐矢(神戸浩)。
二人は学校での暮らしを抜け出して、安室のコンサートを見に行く。
学校は、てんやわんやの騒ぎで、二人の行方を探して、リュウ(西田俊行)と、コバちゃん(永瀬正敏)の二人の先生が出かける。

高志と祐矢は、コンサートを観た後、ホテルで働く学校の先輩の寮で一泊して
雪原をさまよっているときに、熱気球を雪景色の中で見る。
ひょんな事から、気球を上げているメンバーに、乗ってみないかと誘われて気球にのる。
その、歓びや爽快さが描写される。
そして、二人を捜していた、教師たちと再会する。

◆ 何故、気球が出てくるんだろうという感想もあるかもしれない。
でも、ボクは別のことを思った。
生徒二人が気球に乗って、はしゃぐのびのびした場面。
ほとんどの人は、気球に乗って下界を眺める機会はないだろう。
その存在に、まれにしか、出会えないと思う。

 二つのことを思った。
一つは気球で空を飛ぶという開放感のこと。
生きるのは、楽しい嬉しい大好きな時を過ごすこと。
もう一つは、
「まだ、見えない、出逢っていない。
でも、豊かな世界がどこかにある。」
その思いの象徴が、熱気球なんだと思った。


目の前にあるシンドイ世界だけが、世界のすべてじゃない。
もっと目を開いて広く見つめて、豊かな世界に出会おう。
そんな思いが込められているのかもと思った。

◆ 養護学校の生徒たちの日々や就職の現実。
教師たちが問い続ける、養護学校での働き甲斐などをリアルに描いている。
楽観でも悲観でもない。
もっと自由に豊かに生きたいと思っている人に、暖かなエールが画面の中を流れていた。


(1996年 松竹 山田洋次監督作品)


◆ 時代、国籍、貧困など様々な生い立ちによって、夜間中学で学ぶ人々の姿を通して
幸福とは?学ぶとは?を問いかける「学校」シリーズの第一作。
 西田敏行や、TVの「週間Book」で本好きには馴染み深い、中江有里も出演。
山田洋次監督作品。

◆ 涙もろく夜間中学が好きな教師・黒チャンを西田敏行が好演。
名前だけでも書けるようになりたいと、50歳を過ぎて中学に入学し、先生の一人に恋したり、修学旅行を楽しんだりするが、厳しい暮らしの中で、診察がおくれて入院の末、亡くなるイノサンを、田中邦衛が演じている。

黒ちゃんは、イノサンを追悼するため、ホームルームをひらく。
一言ずつ、彼の思い出を語るクラスメート。
そして、死んでしまったイノサンの人生。
彼は、はたして幸せだったのかという話になる。
「人はみんな不幸なんだ。死んでしまった彼を幸せだと思ってやるのがいい」
と誰かが言えば
「50歳すぎたおっさんが、名前を書けたと喜んで…。
あんな人生が幸せだったわけがない」と別の意見。

幸福って何だ、学ぶってなんだ、という話になって誰かが言う。
「幸福って何だろう?…それを知るために勉強するんだよ!」と。
(すべて記憶による主旨なので、セリフは正確ではないです。)

◆ 学ぶ切実さと、誠実さを感じた。
「幸福」ってなんだとか、本当の勉強って何だ。
それをめぐっての会話。
とても深いなぁと思った。



 夏にまつわる人生模様を描いた12編。
印象に強く残った作品二編。

 「僕たちのミシシッピ・リバー」

小学五年生のトオルとカズヤは、一学期の卒業式を終えた翌日の夏休み初日。
そして、トオルが転居する前の最後の日をカズヤと過ごす。自転車で、遠く離れた海を見にいく。
読んだ冒険小説の二人のお気に入りの「ミシシッピ川を筏で下る場面」。
遠い海を目指してペダルを漕ぐ、「冒険」のような一日。

二人の友情の瑞々しさ。別れていく二人の寂しさ。
苦く哀しい一日。その日の思い出を胸に、新しい日へと命を漕ぎ出そうとする
初々しさ、眩しさも感じさせる。


 「終わりの後の始まりの前に」

高校野球予選の最後のバッターとなったテルは、強豪S学園・横山投手が投げた一球を
「ボール」と見送るが、審判の判定は「ストライク」。三振となり、最後の打者となる。
高校野球の夏は終わったと思いながらも、最後の一球を「ボールだった」と、心に引っかかっている。テルが塁に出ていれば、公式戦初のバッターの予定だった三年間補欠選手・渡瀬に、打順がまわった。渡瀬の悔しさ、収まりのつかなさ。
 
 テルは「ストライク」の判定を下した主審と再会。
異論を伝えるが、「ストライク」だった。
納得も、諦めも出来ないかもしれないがと、彼は、さとすようにいう。
そして、二十年近い審判生活で、勝敗に関わらず、何の悔いも、後悔も、やりきれなさもない試合はなかったと告げる。選手も審判も。
強豪S高校のエースながら、大事なところで体に故障を抱えてマウンドに上がる横山の姿が、最後に、二人の前で展開される。

テルが、後悔なく生きていくことの難しさを学ぶこの一編。
人は、スパッと割り切ってスマートには、生きられない。
丁寧に生きようとする程、後悔や、やりきれなさは、付いてまわるのかもしれない。
どうにもならないときには、開き直って(笑)生きることも必要なのかも。


◆ 他に、涙なくして読めない「タカシ丸」はじめ、
「親知らず」「あじさい、揺れて」「その次の雨の日のために」
「ささのは さらさら」「風鈴」「魔法使いの絵の具」「金魚」「べっぴんさん」「虹色メガネ」。

(重松清 著「季節風・夏 僕たちのミシシッピ・リバー」2008.6文藝春秋)



「つきのふね」ってなんだ?
明日も生きてみようかと思う。
そんな心の根っこ。
そこから紡ぎだされる命の織物でつくる「ふね」のこと?


(おはなし)
◆ 中学二年生のさくらは、親友だった梨利と、ある出来事を境に気まずくなり、自己嫌悪の思いも抱いている。梨利に惚れて「仲良し三人組」を自称して、二人に付きまとう勝田。
さくらがスーパーの万引きで捕まった時、逃がしてくれた事をきっかけに、心のよりどころとして通う智のアパート。勝田も、そこに出入りするようになる。
智は「宇宙船」の設計図を書いていて、人類を救う任務を持っていると二人に言いながら、徐々に精神を病んでいく…。
親友や級友たちの売春斡旋疑惑。近所で頻発する放火などの不安な出来事。
ノストラダムスの予言による世界破滅の年を目前にした未来への不安や、せまる進路への不安。
不安定な心のゆらめきのなかで、明日を探すさくらたちの日々…。

(思ったことなど)
◆ さくらたちの苦境を救って、未来を照らす象徴でもある「つきのふね」。
それは、架空な神がかりのものでも、受身で誰かが作ってくれるものでもない。

 生身でちっぽけかもしれない人間が、ジタバタとしながら「悩みの根っこ」や、すれ違ったり誤解したりの「人間関係」とつきあい、向き合って生きる日々。
その中で、織物のように紡ぎだされる掛替えのないものこそ「つきのふね」なのかもしれない。
そして「真の友」がいてこそ、それぞれの心の中の海を照らして「船」はゆっくり動きだすのかも。


ここ10年間続けて、年に約3万人が自殺する、この日本の空気が哀しい。
物語の最後の手紙に出てくる「小さくてもとうといもの」を感じる心、探す心。
忘れないで歩かなきゃ…。


(森 絵都 著「つきのふね」2005.11角川文庫 再読)
 


 思いどうり行かずにウロウロの日常。
「いつかパラソルの下で」大好きな人と美味いビールを飲む。
そんな「嬉しい、楽しい、大好き」な日。
夢見ていこツッ!。


(お話し)
◆ 一点の曇りなき「堅物」だったはずの父・柏原大海。
子供たちに、様々な制約を課し過剰に厳しかった。
その父が事故で亡くなり一周忌の相談に集まる。
二十歳で父から逃れて家を出て、今は28歳の長男・春日、25歳の長女・野々、母と一緒に父と暮らしてきた次女・花。

 家族の誰もが、堅く、きまじめな男と信じていた父。
野々を訪ねてきたヤハギヨリコにより、父が他の女性に性的関係を持ちかけた事があり、ヨリコとは性的関係があったと告げられる、しかも父は、絶倫だったとまでいうのだ…。
父は「暗い血」につかまってしまったと晩年に知人に話していた。
真偽を探るため三人は佐渡島を尋ねる…。

(感想のようなもの)
◆ 「千人斬りの女性道楽」の父・ヤスが死に、母もなくなって。親戚の元で育ったという父・大海の佐渡島での生い立ち。三人が島を訪ねて聞けば、ヤスは女性好きな程度で、「千人斬り」は実像に尾鰭が付いたオーバーな話だった。
ヤスや「暗い血」にとらわれて、浮気をしたかのように言っていた父は、自分の出自を言い訳にして浮気に走ったのではないかと、三人は思う。そして自分たちはどうだろうと振り返る場面がある。
自分たちも、堅物の父を「自分のダメなところから目を逸らすための言い訳」(198)にしていたと野々が言い、他の二人も同感する。

◆ 人それぞれの出自は、決して小さな事ではないと思うし、それぞれの人生に、大きな影響を残すのは確かだと思う。生まれる家を自分で選ぶことは出来ないから。
それでも、「みみっちいトラウマ」(春日の彼女の言葉)を抜け出して、自分の歩みを見つけなきゃと、この小説は言っている。

◆ そして野々は言う。
「誰の娘であろうと、どんな血を引こうと、濡れようが濡れまいが、イカが好きでも嫌いでも、人は等しく孤独で、人生は泥沼だ。愛しても愛しても愛されなかったり、受けいれても受けいれても受けいれられなかったり。それが生きるということで、命ある限り、誰もそこから逃れることはできない。」(201)

これは、人生が思うようにスイスイとはいかないことを語っている。
たしかに、そうかもしれない。それも一面、しかも日常の多くが…。
でも、この後の、野々と達郎の物語には、否定ばかりが人生の
すべてじゃないことも描き出されている。

♪ジ~ンセイ 苦モアリャ 楽モアル~♪
 って両面があるということが…。

「いつかパラソルの下で」美味なビールを味わう幸せ。
それを求めること。
諦めないで、行こうゼッ!


(森 絵都 著「いつかパラソルの下で」2008.4角川文庫 再読)


いつもながら主観的読み方なのだ。
今回、ずんと来たもの。それは「意味のある負け方について」。

(お話)
◆両親の復縁、父の就職で、九州福岡に転校する西荻(甲本)早苗。
転校先では剣道をやめ、日本舞踊をするとの別れ際の言葉にショックを受ける磯山香織。
実は、九州の強豪高校に転校して剣道を続ける早苗。
だが、転校先の部の練習方法や、同じクラスの部員・黒岩伶那(レナ)の
「剣道競技化」論の考え方に違和感と居心地の悪さを感じる。

一方、東松学園高校女子剣道部の磯山は、早苗や上級生の抜けた後を埋めようと奮闘する。
なれなれしいが憎めない後輩、田原美緒。中学で一緒だった清水が付きまとったり…。
時代離れした言動ながら、まっすぐな磯山の日々が楽しい。
そして「お気楽不動心」のはずの早苗が、新たな土地で、悩みながら歩き方を探していく。
剣道を通して交差し、刺激しう二人。
さてさて…。

(思ったことなど)
◆ とにかく好きだ。波長があう作品。
笑いまくりながら、剣道を通して羽ばたこうとする二人が好きだ。
早苗の好きな作家は森絵都らしい。
剣道の試合の場面では、自分が竹刀を握っているような気分になる
後輩・田原美緒や、清水と磯山のかけあいも面白い。
最後の早苗とレナとの決闘も手に汗握る。

今回、胸にずんときたのが「意味のある負け方について」。
横浜市民秋季剣道大会で負けた早苗。桐谷に指摘された弱点を実践で試そうとして敗れた。
「結果は失敗。でも、この失敗がいいのだと、早苗はいう。」(270)
そして磯山。インターハイで強豪福岡南高校の西木に敗れるが、破れたことを次につなげる。
相手の「背中は見えた。この手応えは大きい。」(197)と。


この二人の何気ない共通。次に勝つための「意味のある負け方」じゃない。
次も、負けるかもしれないとしても…。
今日を明日につなげていく、学びのハートって元気をくれるってことだ。
物語の脇道のひとコマかもしれないけど、好きなのだ。

…ってことは、おくとして。
面白い!おすすめのイッサツ!

(誉田 哲也 著「武士道セブンティーン」2008,7文藝春秋)


(お話)
◆ 日本舞踊をしていたが、わけあって雰囲気に惹かれて三年前から剣道を始め、勝敗への
こだわりのない、おっとりしたタイプの西荻(甲本)早苗。
 幼い頃から、道場に通い、昼休みは片手に鉄アレイを持って鍛錬し、片手に武蔵の「五輪書」の文庫本を持って愛読するなど、剣道漬けの日々を送る磯山香織。
彼女は、剣道全国中学二位の実績を持ち知られる実力者。
 ところが、腕試しに出た小さな大会で、名も知らない相手に負ける。
それが西荻。
リベンジを期して、スポーツ特待生の誘いで東松学園女子部の高校に入学する。
部で再会して、負けた西萩と手合わせするが、なぜ負けたのかわからないようなタイプの選手。
あっさりと磯山が勝つが…。

交互に、違うタイプの二人の語り口でドラマがすすむ。
笑いと、剣道と人生の意味を考えるマジな味も程良くブレンドされた爽快な一冊。

(思ったことなど)
◆ 一番印象的だったのは、勝敗にこだわり続けた磯山が、何のために剣道をするんだろうと
悩んで、周囲の人の言葉や姿に目を開いていく。
そして到達する思いの大きさに読んでいて、ジ~ンとする。
 曰く、デカい魂を持って「デカい剣道をやりたい」(P333)と。
それまで、こだわりまくっていた勝ち負けとか、兵法じゃなくて
これからは「武士道」でいくんだと香織は言う。
(父が武士道の本筋として語った言葉。
「集約すれば、世のためを思い、他人を敬い、精進を怠らない…社会に生きる人間とは、そうあるべき者だ。…人は誰も、一人では生きられない」(P315~316)が彼女の思いの底にある。)
そんな風に、武士道の普遍的な面を語った父。(ボクはすべてが普遍的とは思いませんが。)
勝敗や兵法にこだわって、周りの人がすべて、敵に見えていた過去の香織。
彼女が、そんな古い自分を抜け出して「大きな剣道」を目指す宣言をする。
言い換えれば「大きな生き方」に向かって一歩踏み出すことだと思った。

「大きな生き方」って何だろうとここを読みながら思ったりした。
香織はこんなことばかり考えているわけじゃない。
そのキァラは、コミカルに誇張されていて何度も笑った。

 香織の言葉を読みながら、この前のオリンピック報道を思い出す。。
競技の内容や選手の精進より、メダルをいくつとれたかが、報道の中心のようだった。
そして、日々の暮らしでは、勝った負けたの価値観が大きな顔をしている。
そんな姿勢は「大きな魂をもった生き方」といえるんだろうか?
香織の到達した「大きな剣道」をするという思い。
武士道風に言えば(笑)「心して聞く」に値する言葉だなぁ~と思った。

 そして、西荻早苗に、事業に失敗した父が語る。
勝負はどんな場合もついて回るけど、負ける不安に打ち勝つ方法は
「それが好きだっていう気持ちを、自分の中に確かめるんだよ。」(P280)という。
勝つとは限らないけれど、それを乗り越える力は「好きかどうか」好きなら負けても失敗してもいい。 何かを好きになる。夢中になる。その気持ちがあれば、勝負なんて怖くないんだと。

共感した。理想のない生はつまらんもん。

◆ …っていうような、二人が考えた、マジなテーマも散りばめつつ、時代がかった言動の磯山と、ほのぼのキャラで大好きな剣道に独自の価値観で付き合っていく西荻。
対照的に見える二人が、剣道でも生きることでも交わり、素敵なツレになって、ライバルになっていく。
笑いもてんこ盛り。爽快痛快な一冊。

「武士道セブンティ-ン」という二冊目がでているらしい。
「続編も読もうゾッ!
 ウム!望むところダッ!」 
ってなことを、イマオモッテオリマス。
(笑)

(誉田 哲也著 「武士道シックスティーン」 2007,7文藝春秋)




文字ばっかのブログが、ここです。
なんて味気ない、って感じでしょうか。
でも、そんなところを意識して(笑)書いています。

真っ先に自分に。
そして、何かを感じてくれる誰かに。
言葉を、紡いでいます。

いつもありがとう。
書いた時期に関係なく「拍手」をしてくれて…。
届いているよ。
とっても、嬉しい。
サンキュ!


(おはなし)
◆  ヒロイン・香須美(ミムラ)は、落語好きの叔父さんに連れられて行った寄席で、
若き落語界の巧者・三松家柿紅(益岡徹)の落語を聴いて好きになり、入院した叔父さん
(利重剛)を喜ばそうと、特訓して病室で演じた。
それをきっかけに、彼女は落語家を志し大学の落研で腕を磨いて卒業すると同時に、憧れの三松家柿紅の弟子入りを志願して、入門試験に彼の前で「景清」を演じるが、彼は「何を稽古したところで無駄」だと、入門を断られる。

 そんな柿紅に異論を唱え、彼女を弟子に迎えてくれたのが三々亭平佐(津川雅彦)師匠。
ところが、弟子になったものの、平佐はテレビで起こした事件で謹慎の身なのに、稽古もつけず
遊び代欲しさに弟子の彼女にまでお金をたかる、破天荒な師匠だった。
楽屋では、駆け出しの女前座として、男社会の色濃い世界で、大好きな落語を支えに、
忙しく働いている。

◆ ある日、大学時代の落研の後輩から、封印された落語「緋扇長屋」に平佐が挑むという
話が伝わってくる。
その落語は、作者も、演じた噺家たちも、急死した、いわくつきの一席だ。
さてさて…どうなりますことやら…。
 
(中原 俊 監督作品)

(感想のようなもの)
◆ 津川雅彦が演じた、三々亭平佐役がすごい!
高座での所作、噺を観客に向けて語る場面の見事さに、驚き感動した。
本職でも、これほど見事に落語を語れる人は少ないと思った。

彼がインタビューで語っているのを読むと、半端じゃない練習の跡が伺われる。
曰く『「…これが最後の挑戦かもしれない」って引き受けちゃったよ。
毎日毎日「ツガワ・ザ・ファイナル」って呟きながら(笑)自分を励まし、噺を繰って練習した。…』
二ヶ月でこの語り。嬉しい。すごい。

ミムラが公園で練習する場面で演じる「寿限無」。
高座で演じる「たらちね」もよかったよ。
笑いとミステリーの味付けが楽しい。


◆ 永田俊也の原作小説「落語娘(「ええから加減」も収録)」(講談社文庫)を読書中。
いまのところ、手ごたえ十分。




本命くじら

Author:本命くじら
 本が好きです。自然も好きです。
人間という生き物にキョウミシンシン!
本は快楽。本はエネルギー。…ってことで。
 よろしく!

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