2008 / 10
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◆ 倉本聰脚本の「風のガーデン」第四話をみた。

主人公や、周りの人の哀しみや孤独が沁みてくる。 
花々の美しさと人の命が、共通して持っている華々しさ美しさに同居している哀しみが
見えてくる。でも決して辛いだけじゃない。それは、いとおしい。
人の命にも、おじいちゃんがつけるような花言葉をつけて覚えておきたいと思った。

エンディングに流れてくる、平原綾香の「ノクターン」が、花々の映像に一層の光を与えている。


◆ メール、書き込みありがとう。
返信、次の休みに書きます。お休みなさい。

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柳家小三治のお得意ネタ。「死神」は西洋の原話を元に、三遊亭円朝が創作したとされる。

◆ 借金で首が回らずに、妻に家を追い出されて死のうとする男が、死神から、儲かるから医者になれと持ちかけられる。患者の命が助かりそうな時(患者の足元に死神が座っている時。)呪文をとなえると「死神」は、患者の側から居なくなる。すると患者は元気になる。但し、患者の枕元に死神が座っている時には、患者は助からないと教えられるが…。

最初は、順調に患者を助けて名医と呼ばれたそして金がたまってくると、懇意の女性と物見遊山に出かける。

金が底をついて、又、医者で稼ごうとするが、患者の枕元に死神が座っている。
あきらめなさいと、患者の家人に話すが、五千両を出すから、何とか助けて欲しいと哀願される。
男は、五千両の金ほしさに、使ってはならない状況で呪文を使う男。
大金は手に入れたものの、追っ払われた「死神」が、彼を蝋燭の並べられた地下室に連れていく。
蝋燭の灯りの一つ一つが寿命で、長い蝋燭は、寿命が長い、短いものは命も短いのだと死神は言う。
そして、消えかかっている短い蝋燭が、お前のものだ、…もうすぐ消えるぞ と。
「お前は、金ほしさに消えかかっていた患者の命と、まだ寿命のあったお前の寿命を取り替えたんだ」と男に言う…。
オチは言わないよ。(笑)

 どこかとぼけた人のよさそうな男と、凄みのある不気味な死神を、人物の声音・仕草を見事に
演じわけている小三治得意の演目だ。
空気のように当たり前に見える「生」。
金に目がくらみ死神との約束を破る男。
代え難い自分の命が脅かされていると知ってり懸命に、延命をはかろうとする男の姿。
そこには、人の哀しみ。愚かさなどがある。深いテーマが噺の奥に流れている。
興味尽きない小三治の得意ネタ。

(柳家 小三治全集所収・小学館DVD)


◆ あるTV番組で、柳家小三治の舞台裏の姿を追って、落語への彼の思いを探っていた。
「小三治マニア」のボクとしては、ワクワクして三度も録画を観てしまった。

◆ これまで、舞台で観た「脱力のかたまり」のような姿からは想像できない、普段の物静かさや眼光の鋭さが、印象的だった。
師匠の小さんに「お前の噺は面白くねえなぁ」と言われて「面白い」に繋がることなら、何でも、いつでも考え続けてきた。そして、志ん生の言葉にヒントを得た「落語の極意」。
それは、お客を無理に笑わせるんじゃなくて、自然に演じて「つい笑ってしまうのが芸」という考え方。自分を磨いて、笑ってしまいたい客の心の中に自然に入っていこうとしている。それは、力技で人を笑わせるより難しいだろう。

◆ もっとも印象に残ったこと。
彼が、落ちつくために自らに呟く言葉は「小さく 小さく」。
「この気持ちでいくと、軽く言った言葉がお客さんの心に入ってくる。受けなくても、自分の心を再現して、それをお客さんに評価してもらう」のだと。

◆ よく「等身大の自分」とか「自分を律する」「あるがままの自分」と言うが、これは、至難の業だと思う。芸人なら「大受けしたい」「ビッグになりたい」と、はやる気持ちや、自分を飾りたい。かっこよく見せたい。という気持ちが湧いてくるだろう。一概にそれを否定できない。でも、自分で自分が見えにくくなるように思う。彼の呟き「小さく 小さく」は等身大の自分を呼び出す、まじないであり自分を律する呟きなんだろう。

◆ それと、ある評論家が何かに書いていた。「小さく」は「科学」のある側面でもあるらしい。何かを解明するとき「小さく」単純化して法則を解明しようとする。
平凡な「小さい」ことの中に「科学」的なハートが息づいているようだ。その言葉には、生真面目な小三治さんを、ホッとさせる「思考の素朴な安定感」があるような気がする。

ボクも心がシンドイ時、呟いてみようかな。
「小さく 小さく」




◆ 高校ボクシング部を舞台に、天才肌のボクサー鏑矢。
その友人で秀才だが、ひ弱に見えた木樽。
彼もある出来事を境に、ボクシング部に入部し、トレーニングを地道に積み重ねていく。
部の監督などの指導も受けながら、やがて眠っていた才能が目を覚まし、逞しく変貌していく。
強くなるほど過酷になるというボクシングの世界で、対照的な二人を中心に、ボクシングに魅入られた人たちが出会う。そこには、失意、自信、恐怖、勇気、諦め、執念など、心や肉体の逡巡の物語が、リアルに展開されていく。
友情と恋と、マネージャーの丸野の病死と部員への思いなどに熱くなり、ボクシングの戦いの場面の迫力に、ワクワクものの一冊。

◆ 物語の面白さは、なんと言っても、人間の様々な迷い、矛盾、生き方をめぐる逡巡が、どんな風に描き出されているのかだと思う。
この物語は、登場人物それぞれに、そのあたりが描かれている面白さもある。

部の監督・沢木。顧問の耀子。鏑矢が以前から出入りしていたボクシングジムの曽我部。
病気の重さを伏せて部のマネージャーとして部に溶け込む丸野。
など、三人をとりまく人間像も描きこまれている。


◆ 鏑矢と木樽。その対照的に見えるキャラクターの面白さ。
鉄壁の強さを誇る二人のライバル・稲村。それぞれが違う味でカッコイイ。
三人の「死闘」を思わせる格闘場面は読み応えがある。
読んでいると、彼らの汗が、こちらにまで飛んで来るような迫力があった。
その試合に至る前段階の鏑矢には、ボクシング継続への迷いや、丸野の死を前にした、心の痛みが切なかった…。

585ページという厚さを感じさせない、圧倒的な面白さがギュッという一冊。

◆ 本読み友だちnaruさん(左下「待ち合わせは本屋さんで」)のお薦めの一冊。
面白かった~。サンキュ!


(百田 尚樹著 「Box ! (ボックス!)」太田出版2008.7)



◆ 少し前の月刊誌に「がんばらない」の著者の医師・鎌田實さんの
「やまない雨はないから”弱い自分”を認めてあげよう」
という記事が載っていた。

 その中で鎌田さんは、30代から温かい地域医療目指して走り続けて
院長になった責任や、どんな小さなことも完璧に解決したいとの思いから自分を追い込んで
48歳のとき「パニック障害」という、不安で動悸がして、夜も眠れないという状態になった。
その症状をきっかけに、弱さのある自分を認めて
「弱さは、強さを持つ自分になるために必須のものだと気づいた」と述べている。
 そして、心が「折れる」んじゃなくて「たわむ」という言葉。
つまり板や棒が曲がる状態を思い浮かべることの効用を語っている。
「たわみ」がいつか強い自分になる「力」になると…。

◆ それを読んで、ボクが思ったこと。
例えば、失敗したとき絶望して「折れる」と思う心の在り方。
それは、失敗することを終着点、最後の到達場所と考えて絶望しまうこと。
でも、失敗は、実は豊かな自分に逢うための「たわみ」とか「しなり」の時でもあると考えてみる。
すると、苦行の時間が「学びの宝庫」にもなる。
それは「失敗」が、次への始まりの時に、姿を変えるということ。

◆ 「しなり」や「たわみ」の時間なんだと、苦しい時間を捉える。
それは「心の中に、明日を蓄えていく」ための、柔らかい心を持つことなんだなぁ、と思った。


(鎌田さんの記事 「婦人公論」8/22号所収)


◆ 「いいなぁ~いいなぁ~」と、何度思ったか。
四年前に、屋久島に行くきっかけになった本。
島の美しさ。神秘的な自然の営み。
楽しさ てんこもり。

この前に放映していた「学校Ⅳ・十五歳」の舞台が屋久島だったり
森絵都さんの「屋久島ジュウソウ」を読んでいたら、この本も
再読したくなった。

◆ これは、屋久島を語りながら、生きる姿勢のことも
自然の美しさや、屋久サルなどとの付き合い方も
川エビやカメの手・貝などを採る楽しみや
採った幸を、好きな人たちと一緒にビールと味わう姿も、楽しそうに描かれている。

◆ 最初「遊園地のような楽しさ」を求めていた屋久島。
でも島の案内をしてくれた人から「自然の中には用意された楽しみなんてない。
自分で発見し、出会う喜びがあるだけだ」(P23)
ってことを教わる。そんな体験を経ながら
「あまり紹介されない屋久島の出来事や出会い」を紹介している。

◆ いくつも いくつも 素晴らしい描写がでてくる。さわりをチラリ。
「一人、たったひとり自分だけが感じる美しさが私を救うことが出来る。…
あるとき、私が美しいと感じるもの、それは私だけに贈られた
世界からのプレゼントなんだ」(P75)


 白谷山荘を経て、地元の人に教えられた岩屋にたどりついて周囲を見渡した時の描写。
「陽の光が森の緑に降り注いで、世界は一点の曇りもなく、あきらかで、そこには、
たぶんどんな邪悪な心も入り込む隙がないほど、張りつめて、高潔だった。」(P80)


 ボクも飲んだけど、森の中を流れている水は、とっても美味なのだ。
彼女は、島の名水10選を、つくろうかと思ったりする。
「私はこのまま苔になってここに、この緑の森に
この水の潤いで生きていきたいって心から思った。
世界は緑。深く緑、濡れて透明な光を放つ緑。」(P110)


 あぁ~きりがない。素晴らしい描写や楽しさのオンパレード。
読んでいたら、縄文杉まで歩いた、空気や水や木々。匂いも味も色も思い出した。

◆ 題名の「ひかりのあめふるしま」は、濁った肉体を浄化してくれるような
澄んだひかる雨の島を象徴しているんだろうと思った。   
幸せな出会いの連鎖の中に、田口さんの屋久島体験はあるんだなぁと、改めて思った。


(田口ランディ著 「ひかりのあめふるしま 屋久島」幻冬舎文庫2001.8再読)


◆ 今最も好きな芸人・サンドウィッチマン。
二人の生い立ちや性格。高校ラグビー部での出会いのこと。
コンビ結成に至るいきさつ。
お笑いコンテスト・M-1グランプリで敗者復活をへて逆転優勝までのいきさつ。
その後と、これからのことを、コンビ二人が交互に、それぞれの視点から語る立体的な構成。
熱い思いが伝わってきた。
優勝したときのインタビューで、これからもお笑いのネタをやっていきたいと語った意欲が嬉しくて
大好きになった。

◆ 本の冒頭、こんな言葉があった。
「M-1チャンピオンになる前の僕らを、敗者だと言いたい奴には、言わせておこう。
名もなく、稼ぎもない年月を過ごしてきた僕らは、わかっている。
敗者とは、勝者になれるチャンスを手にしている者のことだ。
…敗者って、いいもんじゃないか。
そこに気づくまで、僕らは10年近くかかってしまった。」
この本を最後まで読むと、この言葉の意味がわかる。
本の後半には、彼らのこれからへの思いが書かれている。
それは、50歳60歳で単独ライブが出来るようになることだと。
その頃の彼らを見てみたい。

◆ 勝敗より、楽しさが目に浮かぶようなラグビー部の二人。
そして、先にお笑いの世界に入った富澤が、福祉用具の営業をしていた伊達を、粘り強くコンビに誘い続けた。
三年も了解しなかった伊達が、祖父の死で、涙が止まらない思いをして決意する。
「いっぱい笑って、楽しい時間を、全力で突っ走りたい。」と。

芸人の収入では食えないアルバイトぐらし。
付き合っていた人と結婚できなかったことや、いつ芽が出るかわからない二人のアパートぐらしのことも書かれている。

◆ 後半M-1の場面。TVの前で、大笑いして観ていた番組「M-1グランプリ」。
その裏で本人たちが、周りがどんな様子や気持ちだったかということがわかる。
自分が出場するみたいに、読んでいてドキドキした。

◆ 印象的だったこと二つ。
① 敗者を可能性をもった存在として、豊かに捉えることが気持ちを伸びやかにする。
②へこまされるシーンは、いくらでもあるけど、本気の気持ちを持つこと。
それが、生きてるってこと。



これからも、お笑いの舞台に立ち続けて欲しい。
本の存在を知って。ただちに手にして。ただちに読んだ。
待ちに、まってた一冊。

(サンドウィッチマン著 「敗者復活」 幻冬舎2008.9)



本命くじら

Author:本命くじら
 本が好きです。自然も好きです。
人間という生き物にキョウミシンシン!
本は快楽。本はエネルギー。…ってことで。
 よろしく!

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