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◆土曜日に観た「小三治」というドキュメンタリー映画の落語家・柳家小三治師匠の言葉。
「俺は陰気だから…」「小さん師匠から、お前の噺はおもしろくねぇなと、言われた…」
「落語家には、向いてない」。

TVのドキュメンタリー番組での場面も思いだす。
彼が動揺しそうな時に、心の中でつぶやく言葉は
「小さく、小さく」だという。

彼の根っこにあるものは、何だろう?
もしかすると、無いから始めてみる。無いを糧にする。
無いからこそ、あるものを、活かそう。

そんな、思いなんだろうか?

◆ 別の人がいる。免疫学者の多田富雄さんだ。
(このブログに、彼の本の感想を掲載。)
昨日、特集番組「いのちの科学者・多田富雄が残したもの」を放送していた。
世界的学者だった彼が、講演先で脳梗塞で倒れて、言語も歩行の自由も無くした。
変わり果てた、自分の姿に、最初は自殺のことばかり考えていたという。
その彼が、能の脚本を書き、往復書簡の本を残し、リハビリテーションの日数制限の方針に
抗議をして行動する。食事が命がけというほどの、重度の障害の日々の中での「創造的な日々」はどこから生まれたんだろう。
「機能回復だけでなく、人間性を取り戻すのがリハビリテーションだ」と本の中で、繰り返し述べるようになる。

番組の中の彼の言葉「捨てることで、本質が見えてくる」とはどういう意味なんだろう。
観終わってからも、その言葉が心にひっかかった。
無くしたものと向き合うこと。それは同時に、自分にしかないものと向き合うこと。
そんな意味なんだろうかと、勝手に考えてみる。

小三治師匠、多田富雄さん。二人は全く違う分野の人。
でも、本当の自分の在り方を深くみつめること。それを形にすること。
そこに、通い合うものを感じる。



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◆ 雨の夜。
小説「東京バンドワゴン」の五巻目を途中まで読んで、出かけた図書館で
みつけた詩集「生きる わたしたちの思い~第2集~」。
詩人・谷川俊太郎の「生きる」という詩を手本に、パソコンのサイトに
みんなの「生きる」を繋げていく試みをした。そこに、様々な人が書きこんだ詩を集めた本。
第1集も読んでみたいと思った。

◆ 紡ぎだされた言葉たち。
この世界の、どこかで生きている誰かが、パソコンのページに、書きこんだもの。

そこに綴られた言葉が「どくん どくん」と脈打って、ボクの内部に流れ込んでくる。
「今、ここ」のボクの時間の中に、時空を超えた誰かの言葉が、溶けてくる不思議な感覚。
生きる酸素が、ちょっと 濃密になった。

◆(綴られた言葉たちの一部)

「はじめて誰かのために泣いた夏を
いつまでも覚えていること」
  (27)

「きみは何を考えているんだろうって
考えてくれるあなたのことを考えている」
  (75)

「見送った背中を、追いかけたくなること」  (81)

「本当は 丸裸で 泣きながら あなたの心の前で
愛してると ただ叫びたい ということ 」
   (87)  (詩の一節)

「行けばよかった。 行けばよかった。 
行けばよかった。 行けばよかった。 
行けばよかった。

そう後悔して
 次は勇気を出すこと。 
それが、生きるということ。 」 
 (91)

「死の悲しみにのみこまれないこと
思い出に感謝すること
いつまでも忘れないこと」
 (113)

「別れに慣れるのではない。

立ち上がり方を覚えていくのだ。」 
(136)(詩の一節)


(谷川俊太郎 with friends著「生きる わたしたちの思い~第2集~」2009.4角川SSコミュニケーションズ)



◆ 亡くなった加藤周一さんの本を、ボチボチと読んでいる。
心の在り方やものの見方を、丁寧に掘り下げていく智恵と目の付けどころが
ユニークだ。

◆ 本が好きなので、彼の「日本文学史序説」も読んでみたい。
今、読みだした「日本文化における時間と空間」に、日本人の「時間」についての指摘がある。
絵画や短歌や言語などの、文化の特徴を考察して、日本人は過去や未来より「今、ここ」的時間感覚をもつという。

過去の戦争の行為を「水に流そう」としたり、「明日は明日の風が吹く」的なとらえ方を
するのだという。

◆ 「今、ここ」感覚には、プラスとマイナス両面があると思う。
「今、ここで全力を尽くそう!」と、日常よく思ったりすることは普通だし大事だ。
「お花見」のように、一瞬で過ぎ去る四季を味わう感覚も「今、ここ」的な、日本人の感性だと思う。
一方で「今、ここ」感覚を「精神的その日暮らし(その場しのぎ)」だと、指摘する人もいる。

◆ 本の文章の難解さより、どうやって、自分の「いい時間」をつくるかのヒントとして読むことが大事だ。
「今、ここ」感覚の限界を超えるために、「眼前」だけの時間に終わらせない何かを、日々探すこと。
その智恵を求めて、歩き続けることが大事かも。


(加藤周一著「日本文化における時間と空間」第一部時間 2007.3岩波書店)



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◆(おはなし)
再婚して生まれた由紀也が、一歳になったばかりの時、突然なくなる。
その死に折り合いをつけようとする私と妻・洋子。
私は旅に、季節ごとに出かけながら、由紀也との折り合いの付け方をさがす。
十年ぶりに連絡がきて会った先妻・美恵子との子供・明日香は15歳になっていた。
高校生だが不登校の彼女と、私は旅をする。旅先での様々な人との出会い。
美恵子は、癌で告知を受け、最後はホスピスでの日々を選ぶ…。

大切な人との別れは哀しい。突然で、理不尽にも思えるような別れ。その痛みと哀しみ。
一歳で亡くなる由紀也。癌で宣告を受ける美恵子。二章の奥尻島の旅には地震と津波で亡くなった人たちのこと。三章では、私が旅先であった老夫婦から聞く息子のこと。やりたかった演劇の、初演出を手掛ける準備中に、肺炎をこじらせて23歳で亡くなったという。「自分をひっくり返してくれるような風景にであった」と言っていた旅帰りの息子の言葉。その足跡をたどって、流氷を見に来た老夫婦…。

全9章からなる連作。
雑誌発表の初出時には「きみ去りしのち」「嫌いだった青空に」「冬の歌曲」「虹の向こう岸」「風の中の火のように」「まほろば」「砂の暦」「瑠璃色のハイドゥナン」「風のはじまるところ」の題名がある。

◆(思ったこと)
とんがって生きているように見える、15歳の明日香のユーモアや感受性に、瑞々しさを感じた。

死を書きながら、幸福のこと。思い出のこと。生きる意味のこと。
旅と人生のことなどを、描いている。
いろいろなことを、考えさせてくれる。

二度読んだ。
最初は、暗くて、ねちねち・くよくよの、私と洋子夫婦の暗さが、痛くて、はなについて読んでいて疲れた。
二度目は、人が亡くなって別れる哀しみは、ねちねち・くよくよの、心情になって当然だよなぁと思った。
それを、体験することを、人は避けられない。
この暗さ、痛み、哀しみと向き合う逡巡の日々を経て、本当の明るさを育てられたらいいなぁ。

六章に「優しさは」悲しさや寂しさが、じょうずに育ったものかもしれないという会話がある。
とても、印象に残った。


(重松清著「きみ去りしのち」2010.2文藝春秋)


多田富雄さんが、亡くなった。
彼を、知らない人も多いかもしれないけど、ボクにとっては特別な人だった。

世界的な免疫学者だった彼は、2001年・旅先の金沢で、突然「脳梗塞」を発症した。死線を彷徨い、右半身が麻痺し、言葉を失い、物を食べられない嚥下(のみくだすこと)障害になった。重度の障害が残り、発病直後は絶望の思いで、死ぬことばかりを考えていたと、以前このブログに感想を書いた「寡黙なる巨人」(集英社 2007.7刊)のなかで、書いていた。
ボクも、同じ病気になった。
リハビリを続けながら、手に入る限りの本を読み、彼の言葉を何度も読み返した。

◆ この本は、主に発病後発表した(二章「姥捨て」のみ1998年)自伝的エッセイ集だ。前半の一章「春楡の木陰で」に記されている三つの文章は、世話になった下宿の人々。下町の居酒屋。中華レストランで働いていたチエコとの出会いのことなど。彼が1964年に留学したアメリカで出会った人や出来事が記されている。
良質な青春の短編小説のようだった。

二章「比翼連理」に収められている9編には、発病して以降の日々のことや、学生時代の下宿のことなどが語られている。献身的な妻との過去と現在の日々。以前からの病気に加えて発症した「前立腺癌」への対応と思い。
学生時代に小林秀雄に心酔し友人と同人誌をつくり、縁あって知った白洲正子のこと。妻との旅のこと。

◆ 中で「いとしのアルヘンエィーナ」という一文に、発病して目覚めてからの苦しみのこと。
内科医だった妻が職を辞めて彼に注いだ献身的な看病が、自死を思い止まらせる大きな理由だったことが、
率直に書かれている。

発症してから、鶴見和子(「邂逅」2003藤原書店刊)柳澤桂子(「露の身ながら」2004集英社刊 2008同文庫化)石牟礼道子(「言霊」2008藤原書店刊)らと往復書簡を交わした。詩集をだした。新作能の脚本を五つ書いた。
それらの作品から紡ぎだされる言葉は、命の精一杯の羽ばたきから、生まれてきたんだと思った。
手にした本を読みながら、胸が熱くなった。
そして、2006年、国が改革の名目で、病気の人たちのリハビリ日数の制限をしようとした時、抗議し、
同じ思いを持つ人たちと、反対署名を国に突きつけた。

◆ 発病から8年を経た心境の変化のことを、次のように述べている。

「半身が動かなくても、言葉がしゃべれなくても、私の中で日々行われている生命活動は創造的である。
そう思って自分の変化を見れば、まるで新しく生まれた生き物のように、毎日変わっていく自分を発見する。
麻痺に慣れるのも、適応して行動するのも命の可塑性による。
それならば、死ぬはずだった自分の命の限界まで生きてから、この地球からおさらばしようと思い始めた。
(P183)
そして発病前より「ものごとを深く考えるように」なり、「他人のことも、以前より理解できる」ようになったと書いている。

命の日々を研ぎ澄ますこと。
そして想像力と創造力のことを、その生きる姿で教え、考えさせてくれた。
本でしか知らないあなただった。でも、最高の先生だった。

ありがとう!


(多田富雄 著 「ダウンタウンに 時は流れて」 2009.11 集英社)


ボクの昨日は、北乃きい の日だった。
彼女が出ている映画「武士道シックスティーン」と、ドラマ「八日目の蝉」を同じ日に観た。

◆「武士道シックスティーン」(原作・誉田哲也)では、16歳の天真爛漫な、
勝負に無欲な高校生・西萩早苗を演じていた。
もう一人のヒロイン磯山香織(成海瑠子)は、五輪書を愛読し勝負に執念を燃やす
生真面目で古風なロングヘアーの女子高生剣士。
早苗は、対照的な「柔」のキャラクターで、小説のイメージにぴったりで笑わせてくれた。


◆ そして「八日目の蝉」(原作・角田光代)では、大人の影のあるヒロインを演じた。

最終回の昨夜は、成人して不倫相手の子供を妊娠した「薫」(戸籍上は恵理菜)が、
過去に父と不倫し、身ごもって堕胎した末に、自分を誘拐し、五歳まで連れまわしたとされる
野之宮希和子と自分が過ごした足跡をたどって真実を知り、子供を産もうと決意する姿が描かれる。

現在を生きる薫に
逮捕された時に、希和子が、薫を気遣って、刑事に訴えた最後の言葉が…。
一緒に過ごした日々、彼女が注ぎ続けた、薫へ慈しみの記憶が…
社会的には「父の不倫相手で誘拐犯」の希和子。

希和子の真実が、薫の心に沁みてくる最終回。

◆ この物語には「賛否両論」があるだろう。
「異論」が出し合える物語の中に、本当は
豊かなもの。新しい目を開かせてくれるもの。
…が潜んでいるのかも。

天真爛漫な高校生。
過去と今の痛みと向き合って、新しい自分を求める女性。

映画とドラマで、北乃きいを観た日。


◆二十歳の竹本京子と七十八歳の杉田万寿子。
年の離れた二人の、友情の物語。
京子の山本や荻野との恋の出来事もでてくる。
かないそうで、かなわない。

京子と万寿子の二人旅の夜、万寿子が語る肉親の思い出が哀しい。
ひきこもりの老女と見られていた万寿子と、京子が触れ合って友情が
育まれていく過程が、オモシロイ。


◆ 人が出会うって、どういうことだろう。
どんなきっかけが、ボクラの心の鍵を開くんだろう。

命の一生のことを思った。
生きることを思った。
それは、誰かの思い出と想いを自分の中にもらうこと。
命と元気をもらうことで、痛みと哀しみをもらうことでもある。
しかも、一回だけ。
過ぎていくこと、老いていくこと。
絶対的な別れの哀しみ、それゆえ貴重な命の時。
いろいろんなことを、思わせてくれた。

コミカルで、哀しくて、恋しい。
読み終えて、心がシンとする豊かな物語。

(黒野 伸一 著 「万寿子さんの庭」2009.10 小学館文庫)

本命くじら

Author:本命くじら
 本が好きです。自然も好きです。
人間という生き物にキョウミシンシン!
本は快楽。本はエネルギー。…ってことで。
 よろしく!

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