2014 / 05
≪ 2014 / 04   - - - - 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31  2014 / 06 ≫

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


標題は、親しみをこめて呼ばれた正岡子規の愛称
教科書で習った俳句「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」短歌「甁にさす藤の花ぶさみじかければ、たたみの上にとどかざりけり」が作中に出てきて、彼の作品だっんだと改めて思い出すようなボクにとって、彼は知識のない、近寄りがたい遥かな歴史上の人だった。
でも小説を読んだら「正岡子規」(本名常規)というより、「ノボさん」と呼ぶのがぴったりだと思った。

章ごとの題名が面白い。
「ノボさんどちらへ?べーすーぼーる、をするぞなもし」
「初恋の人。子規よどこへでも飛べ」
「漱石との出逢い。君は秀才かや」
「血を吐いた。あしは子規(ほととぎす)じゃ」
「漱石との旅。八重、律との旅
」「鴎外との出逢い。漱石との愉快な同居」
「子規庵、素晴らしき小宇宙」
「友は集まる。漱石、ロンドンへ」
「子規よ、白球を追った草原へ帰りたまえ」
の9章からなる。

日本に入ってきたばかりのべーすーぼーるに熱中し、誰からもノボさんと慕われ愛された彼が、とても親しみ深い人物に感じられた。互いに認め合う友人、夏目金之助との出逢いが興味深い。子規の俳句の弟子を自認してつけた彼の俳号が「夏目漱石」で、中国の故事からきているということも、初めて知った。
俳句の大系を作ろうとする子規の姿勢に、俳句は「隠居の遊び」だと決めつけている人が多いが、子規は「日本人が手に入れた崇高な創作物だと」信じていると、漱石が感じ取る場面があって、子規の俳句にかける気概と彼を見つめる漱石の思いが感じられて印象的だった。
歌論をしようと訪れた伊藤左千夫が、子規の印象を「話はじめるとその人は流麗で社交性に富み、少しも飾るところがない」348と一目惚れをする。子規の人柄が伝わってくる。


36歳という年齢で亡くなった子規。何より病による体の痛みと闘い続けながら、本当のものを探し続けた姿は、自らの雅号▪子規(ホトトギスの意味)と命名した決意のように『血を吐くがごとく何かをあらわそうと』鳴き続けた人生だった。
時を越えて、生命というものを感じさせてくれた一冊。


( 「ノボさん~小説正岡子規と夏目漱石~」 伊集院静著 講談社 2013.11)




スポンサーサイト

先回ここで取り上げた「愚者よ、おまえがいなくなって淋しくてたまらない」と同じく陰影の深い自伝的小説。
作者と思われるサブローと、「狂人日記」などを書いた、作家色川武大との「旅打ち」と呼ばれる競輪場への旅等をまじえた交遊録。
標題は、突然どこでも眠りだす、色川さんの持病ナルコプラシーの症状からきている。弟、親友、若き女優だった妻と相次いで死別したサブローは、そのショックから酒と博打に溺れ、精神病院を退院したものの、今も幻覚に怯える哀しみを心に抱えて生きている。
サブローのことを気にかける雑誌編集者の紹介で「いねむり先生」に出会い交遊がはじまる…。

厄介な難病を抱えているのに、ジタバタせず、仕事の世界でも、遊びの世界でも、尊敬と周囲の人に安らぎを感じさせる「いねむり先生」こと色川さん。
その飄々とした気取りのない大きな人柄。人の哀しみを見抜き、包み込む人柄が、他人との接触を避けていたサブローの精神的な痛みを徐々に癒していく。そして、「いねむり先生」自身も精神に痛みを抱えており、だからこそ、人の気持ちに深く寄り添って生きていることも描かれている。二人と交友がある歌手も登場する。 「陽さん」と呼ばれるこの歌手は、あの人だろうと興味深く読んだ。

別れという哀しみは、誰の運命にも避け難くやってくるけど、著者は「青春と読書」のインタビュー記事の中で
「その人との忘れえぬ記憶こそが、生き残ったものの生きる証なんだ、そうやってつながっているんだ…」
その想いを読者が共有してくれたらと「愚者よ…」を書いたと言っている。
その前に発表されたこの作品にも、作者のそんな想いが詰まっている感じだ。

人生で大切な人と出会って、魂が触れ合うようなひとときを共にできたら、と、つくづくと思わせてくれた印象深い作品。

「いねむり先生」伊集院静著 集英社文庫2013.8)


生きてきて彼が出会った何人かの男たち、その生き様。そして別れ…。

作者の思いが出ている一節。

『まっとうに生きようとすればするほど、社会の枠から外される人々がいる。なぜかわからないが、私は幼い頃からそういう人たちにおそれを抱きながらも目を離すことができなかった。その人たちに執着する自分に気付いた時、私は彼らが好きなのだとわかった。いや好きという表現では足らない。いとおしい、とずっとこころの底で思っているのだ。

社会から疎外された時に彼等が一瞬見せる、社会が世間が何なのだと全世界を一人で受けて立つような強靭さと、その後にやってくる沈黙に似た哀切に、私はまっとうな人間の姿を見てしまう。』
(P378)

エイジ、三村、木暮などの人間像。特にエイジの放つ人間としての光の強さに、人の魅力とか、本気の生き方とかを思った。

そして、人の命の時間の、愛しさ、苦さ、哀しさが、作品全体に漂っていた。
読むそばから、深く深く心に沁み通ってくる、言葉の色気のようなもの。

出逢えて、読めて、嬉しかった感謝の思いに尽きる一冊。


(「愚者よ、お前がいなくなって淋しくてたまらない」伊集院静著 集英社2014.4)



本命くじら

Author:本命くじら
 本が好きです。自然も好きです。
人間という生き物にキョウミシンシン!
本は快楽。本はエネルギー。…ってことで。
 よろしく!

04 | 2014/05 | 06
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。