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梨木さんの本は、必ず読む。
でも、今回は体調最悪の時で、眠りこけながら文字を追ったという感じだ。

副題「森の苔・庭の木漏れ日・海の葦」とあるように、エストニアを訪ねて見聞しながら、自然と人間のあり方に話が及ぶ紀行文。

ヨレヨレの頭に残ったのは二点。

◆一つ。

人間も自然の一部なのに、いつの間にか思い上がり、どんどん自然を壊し他の種を絶滅に追いやってきた。生まれて、ひと時生きて死んでいく、という自然の流れの中に自らの命があり、育まれていることを忘れそうになる。次のような一文を、心にとどめておきたい。

「自然をコントロールするのでは、もちろん、なく、自然と付き合う、のですらなく、生かされている、そして積極的に生きようとする、その受身の意識と能動の意志のバランスこそが『自然』と、今は見当をつけている。」(P147)

◆二つ。

意思を持ち続けるとは、どういうことかを思った。

梨木さんは、エストニアの歴史を書く。
長年、周囲の国に支配されてきたエストニアの歴史を経て、1988年9月11日の集会で、全国民の三分の一の30万人が「歌の原」と呼ばれる広場に集まる。そして支配国から、当初は禁止されていた「我が祖国は我が愛」というエストニアの歌を演説の合間に歌う。その後、機運が高まって、1991年の独立回復につながったという。

このことを、巻末で次のように書いている。

「深く営々と営まれてきた被支配の日常のなかで途切れることなく培われてきた、熱情といってもいい祖国への思いそのものだ。一時の『激情』ではなく、着実な、途切れることのない、ひたすらな思い。自らの裡で、静かに燃やし続ける『熱』。それ以外に、この煉獄の世の、どこに、光などありえようか。」(P190)

エストニアの人々の歴史と熱。ひるがえって自分という個人を思う時にも、持続する意思を持つことの困難と大切さを自覚しながら、静かに燃やし続ける『熱』を持つことの大切さを思う。
淡々と過ぎていく日常。人を支えてくれるのは「静かだけど持続する熱」かもしれない。


(「エストニア紀行」梨木香歩著 新潮社2012.9)

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本命くじら

Author:本命くじら
 本が好きです。自然も好きです。
人間という生き物にキョウミシンシン!
本は快楽。本はエネルギー。…ってことで。
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